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 町内小中学生などによる総勢200名による

イランカラテ~君に逢えてよかった~の大合唱

 

13:30~ 

◇開会宣言

◇オープニング

・「イランカラテ~君に逢えてよかった~」合唱

・群読

◇主催者挨拶

◇来賓ご紹介

◇来賓ご挨拶

14:15~ 

◇新井 満・秋辺デボ『スペシャルトークショー』

14:45~ 

◇アイヌ文化との出会い

〇旭川チカップニアイヌ民族文化保存会のみなさん

・アイヌ古式舞踊、唄、演奏

15:20~ 

◇スペシャルライブ

〇李 広宏

〇トワ・エ・モワ

16:25~ 

◇「イランカラテ~君に逢えてよかった~」~来場の皆様と合唱~

閉会

 

新井 満(あらい まん) トワ・エ・モワ
作家、作詞作曲家、長野冬季オリンピック開閉会式イメージ監督、本音楽祭の監修者など、多方面で活躍中。
1946年新潟市生まれ。1988年『尋ね人の時間』で芥川賞を受賞。2003年に発表した写真詩集『千の風になって』と、それに曲を付け自ら歌唱したCD『千の風になって』は現在もロングセラーを続けている。同曲で2007年レコード大賞作曲賞を受賞。現在は北海道大沼湖畔の山小屋に移住し、羊を飼いながら創作を続けている。著書、CD多数。
「イランカラテ~君に逢えてよかった~」の作詞者(秋辺デボ氏と合作)作曲者でもある。
1969年「或る日突然」でデビュー。「空よ」、「誰もいない海」、「虹と雪のバラード」等、次々とヒット曲を放った。
1973年5月に解散、白鳥英美子はソロ活動を開始、芥川澄夫はレコード会社に所属、プロデューサーの道へ進む。
1997年8月、NHK『思い出のメロディー』に“トワエモワ”として出演した事がきっかけとなり25年振りに活動を再開。
以後全国各地でのコンサート、テレビ・ラジオ出演等、精力的に活動中。
CD制作ではオリジナル曲の他、日本の抒情歌やフォークソングなど歌い継いでゆきたい楽曲を数多く収録し、コンサートでも好評を得ている。
2017.11.10 シングル「イランカラテ~君に逢えてよかった~」発売
現在 YouTube で公開されている「合唱動画」(『民族共生象徴空間』開設PR動画)にも参加している。
music music
・千の風になって
・故郷に向かいて~南富良野Ver
・イランカラプテ~君に逢えてよかった~
・或る日突然
・空よ
・イランカラプテ~君に逢えてよかった~
・翼をください
・誰もいない海
・THE PRAYER (祈り)
・この街で

 

秋辺 日出男(通称 デボ) 李広宏(り こうこう)
1960年北海道阿寒湖温泉に生まれる。78年高等学校を卒業同時に木彫り修行開始。84年、民芸ショップ「デボの店」開業同年香港アジア芸術祭にユーカラ劇主役として出演。91年頃モシリ詩曲舞踊団にジャズマン坂田明、ヤヒロトモヒロらとボーカル兼ダンサーとして参加。93年阿寒アイヌ工芸組合専務理事就任以降ユーカラ劇、イオマンテの火祭り、ブラジル公演ほか現在まで演出多数。08年沖縄ハードロックバンド「紫」の宮永永一ユニット「天竜バンド」ボーカルとして参加。11年「千の風」アイヌ語バージョンお披露目がきっかけで新井満氏と出会う13年「日本ペンクラブ主催・平和の日・函館の集い」でアイヌ語「千の風」を満氏と歌い16年「イランカラテ~君に逢えてよかった~」を共作。その他アイヌ文化講演多数。 1961年中国蘇州に生まれ16歳で中国伝統劇滬劇俳優となり活躍。1987年に来日し、日本の童謡・叙情歌を中国語に翻訳して両国の言葉で歌い音楽活動を続けている。「蘇州夜曲」中国語訳はサントリー烏龍茶のテレビCMに採用された。「千の風になって」中国語訳を日中両国の被災地の支援コンサートで歌うなど、心の歌を携えて、アメリカ、カナダ、フランス、カンボジア、ベトナム、インドネシアなどでコンサートを展開している。2017年新井満氏とアイヌ民族の秋辺デボ氏によって作られた「イランカラテ~君に逢えてよかった~」に強く心惹かれて中国語に訳しCDを制作。歌を通じて世界平和を訴え、文化の懸け橋になりたいと願い音楽活動を続けている。
music music
・イランカラプテ~君に逢えてよかった~アイヌ語Ver
・イランカラプテ~君に逢えてよかった~英語Ver
・夜来香(イェライシャン)
・毬藻の歌(まりものうた)
・蘇州夜曲(そしゅうやきょく)
・イランカラプテ~君に逢えてよかった~

 

■会場アクセス

空知郡南富良野町字東鹿越
かなやま湖畔キャンプ場管理棟TEL : 0167-52-3132

旭川チカップニアイヌ民族文化保存会

※クリックすると拡大されます

秋の石狩川に溢れる鮭、大地を駆ける鹿の群れを糧にコタン(村)を形成し、発展してきた旭川・近文のアイヌたち。明治20年代、上川盆地の開拓に伴って近隣のアイヌが近文に集住させられ、開拓を奨励され本来の暮らしは禁止されました。明治33年陸軍第七師団の近文設置により、コタンを見学に訪れる人々が増えたために、アイヌ文化を披露することを始めました。土地問題が度々おこり、近文のアイヌが自由に使える土地は狭められ、畑だけでは生活できず、生きるために木彫熊も誕生させ、やがて北海道土産として一世を風靡しました。以後、川村カ子トアイヌ記念館を中心に観光と伝承が行われてきました。 古老たちが世を去り、昭和59年旭川チカップニアイヌ民族文化保存会を設立し、太古から伝わる古式舞踊を守り伝えている。
music
・ムックル ~ 口琴
・ウェカプ ~ 挨拶の踊り
・フッタレチュイ ~ とど松の踊り
・イラッウポポ ~ 裁判の踊り
・チカプ ウポポ ~ 鶴の踊り
・シカリ ウポポ ~ 輪踊り